自分の心に素直に生きるとたまに誰かとバトるよねっていう話 後編

 

前編はこちら 

fujiwarahiroki.hatenablog.com

 

続き。

 

 

お昼に買い物を頼まれて旦那様が親子丼を作るのを手伝ったのだが、完成して食べようとした瞬間に奥様が旦那様に、「味噌汁作ったのにどうして持ってこなかったの?」と明らかに機嫌が悪そうに言ってキッチンに戻っていった。

 

 

 

この瞬間僕は頭の中で(あぁ、タイミング悪く夫婦喧嘩に巻き込まれてしまった。ここは事が落ち着くまで静かにしていよう。)というようなことを考えていた。

 

 

 

でも少し考えて、味噌汁3杯を1度に運ぶのは大変かもな、と思って僕もキッチンに向かった。

 

 

 

したら奥様から一言、「自分から手伝うなんて珍しいこともあるんだね。」

 

 

 

 

「ん?」と思った。 

 

 その時僕は無い頭をフル回転させて今までの今のやりとりとそれまでの違和感の計算式を作った、、、、、、、、

 

 

 

 

「俺だった!!!!!」

「夫婦喧嘩とかじゃなくて原因俺だった!!!!!」

「ガーーーーーーーーーーーーーン!!!!」

 

 

 

 

全く予期していなかっただけにかなりショックだった。

 

その後終始無言のとんでもない空気になりながらも3人で食事をとった。

 

 

 

 

そして、とりあえず原因がちゃんとわからないことには解決のしようがないと思って素直に気になることを聞いてみた。奥様は何も話したくないというような素振りを見せながらも質問にいくつか答えてくれた。

 

僕「僕の態度のどの部分が気になりましたか?」

 

奥様「言っていることとやっている事が全然違う。」

 

僕「僕はどんなことを言いましたか?」

 

奥様「人助けがしたいんでしょ?」

 

僕「そんなことは言った覚えがないのですが、、、」

 

奥様「昨日の夜、過去とか未来とかじゃなくて今に集中したいって言ってたじゃない。」

 

僕「それは言いました。」

 

奥様「だったら誰かの為に今できることを全力でやるんじゃないの?今を生きるってそういうことじゃないの?」

 

 

 

ここら辺でようやく分かってきた。奥様は僕に全力でお店の手伝いをやって欲しかったんだと、いやむしろそうするべきだと思われていた。ご存知僕はお店の邪魔しないように邪魔しないようにと完全に逆の動きをしていたのだが、そんなことよりももっと大事だったのが、僕にとっての「今を生きる」という事が「今全力で人助けをする」こととイコールではなかったことで、むしろ「今全力で自分を助ける」ことだったことだ。

 

違和感を感じていたこともあり、最低限の頼まれたお手伝いをやる以外のことはしなかった。もっと簡単にいうとそれ以上はやりたいと思わなかったからやらなかった。

 

 

これを分かってもらうにはどうしたら良いかを必死で考えたが、まるで話し合いがまとまらないまま、終始とんでもない空気のままその時間は終わった。

 

あまり会話ができていないなぁ。と感じた僕は話を無理やりまとめて終わらせようとする奥様を前に、「まだ心の中のイライラが伝わってきています。もう少し話しましょう。」などと言ってしまった。

 

 

さらに僕にとってネックだったのが、(その次の日に目的地の長野まで送ってあげるよと言われていたので)あと1泊その家で一緒に過ごすということだった。

 

 

その直後に旦那様と2人になる時間があったので、「僕のせいでこんな感じになってしまってすいません。これ以上迷惑かけるのも悪いので今日もう家を出て出発しようと思っています。」と伝えた。

 

 

その後すぐ旦那様のお母さんが1人で買い物に行くということで、「とりあえず行っておいで。」と言われて買い物に同行した。

 

 

出発してすぐに旦那様からメッセージが送られてきた。

 

 ひろき、 ありがとうな!

(一部省略)

ひろきには面倒臭い事に巻き込んで悪いけど、 あと24時間ぐらい 付き合ってくれないか? 24時間で何とかなるとは思ってないけど、〇〇(奥様)が何か学びになってくれる事を祈ってるんだ。 でも、〇〇(奥様)も本当に 優しい奴なんだけどね。 よろしくお願いします。 ((○| ̄|_

 

 

 

 こんな風に頼まれたので大した決意もできていない僕はそのままもう1泊することにした。

 

 

 

その後の24時間いろんなことを考えた。

(泊めてもらってるんだからやっぱり普通は自分が無理してでも頑張って手伝うのが世間的には常識って思うよなぁ。でもそういう何かと何かを交換する世界は違和感がありすぎて無理なんだよなぁ。優しさも親切も一方通行がやっぱり気持ちよくて、見返りとかを求める世界はやっぱり嫌だなぁ。)とかそんな感じのことが頭のなかをぐるぐるしていた。

 

 

そしてその間特に何の大きな話し合いがあったりするわけでなく、ざわざわした感じが続いて24時間が経ち、お別れの時間までもうまもなくという感じになった。

 

 

 

 

 

 

その時、奥様がふと近付いてきて満面の笑みで「昨日はごめんなさい!!」と爽やかに謝られた。どうやら24時間いろいろ考えていたのは奥様も一緒だったらしい。謝ってほしいなどという気持ちはなかったが、その一言によって前日に感じていた ざわざわ感が完全になくなり、やっと普通に会話ができるようになった。ただただ心にざわざわを抱えずに話せるという事がとても嬉しかった。そして、旦那様の計らいで最後に強めのハグをして別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回のざわざわに関して、僕も働いていたときには(どの職種の時にも)このような感情を頻繁に感じていたような気がする。

僕の勝手な解釈ではあるが、

(私はこれだけやっているんだからあなたも何かやりなさいよ。)

というようなことで、言い換えると、

(私はこれだけ苦しんでいるんだからあなたも同じだけ苦しみなさいよ。)

というようなことだと思った。

 

 

要するに自分が頑張り過ぎてしまっているせいで余裕がなくなって、周りの人にまで頑張ることを強制するという負の循環が起こってしまっている状態だ。

 

最近の僕の生活の中ではこういう考え方の人にはめっきり触れる機会がなかったので僕自身そんな考え方があったのかというくらいにかなり驚いてしまったが、世の中全体にはこういう状態が結構あるのではないかと思う。そしてこういう状態を続けることは精神的に結構ダメージをくらってしまう。

 

 

僕は今、『違和感』を大事にしている。(スピリチュアル的な意味合いではなく)空間や人に違和感を感じる時はほとんどの場合何らかの原因があって、それらのほとんどは人の心の中にあったりする。我慢したり辛かったりする状態はどれだけ隠したって隠しきれなくて結果周りの人に影響する。周りも同じ人間だから分かりたくなくても分かってしまう。ちゃんと言葉で説明できなくても心が反応する。

 

 

 

敏感でビビリで弱い自分の心をめんどくさいと恨むこともあるけれど、それもなんか意味があるのではないかと思い始めている。

 

仕事だろうが必要な人付き合いだろうが、(どうしてもやらないといけないことだったとしても)やりたくないことはやりたくないと言う権利だけはあるし、結果それをやったとしても苦手なことは苦手だと口にするだけで精神的にはかなり楽になったりする。

 

仕事よりもお金よりも今の生活水準を守ることよりも人間らしい感情をできるだけ表に出すことの方が重要なのではないかと思う。わがままだと言われても自分勝手だと言われてもそれを個性だと笑える社会のが健全だと思う。

 

 

 

引き続き全力で自分を救っていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ふじわらひろき

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