心の中に大丈夫が全然ない。

 

心の中に大丈夫が全然ない。

 

心の中に大丈夫が全然ない。

 

 

そういう結論に至った。

 

 

 

 

 

 

1ヶ月のカンボジア滞在から帰ってきてからすぐに心の闇に取り込まれて恐怖と不安で心の中がいっぱいになった。

 

 

自分でも驚くほど「何もしない。」ができない。「ボーッとする。」ができない。

 

 

少しでも気を許せば数ヶ月前にバングラデシュで鬱になった時のようなあの状態に戻りそうなくらい自分が安定してないし、不安で不安で仕方がない。

 

 

前に進めていない感がすごい。むしろ後退している感さえある。

 

 

 

自分との対話は続く。

 

 

Facebookを開くと現れるブログを読み漁る。

 

 

自分の外に答えを求めても意味ないと思いながらも何かしていないと不安だからついつい読み漁る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

70万ほど手元にあったところから始まった鉄砲玉の活動もついに5桁に突入した。

 

 

お金の不安は前からあった。別に今に始まったことじゃない。

 

 

ただ、これがキッカケだったのは間違いない。

 

 

5桁というのが僕の不安を煽るのに十分なボーダーラインだったようだ。

 

奨学金を返済して、

レーシックの分割金を支払って、

税金など諸々を支払ったら0になる。

 

という想像が簡単にできる。その想像ができるかできないかのボーダーライン。僕にとっての1番リアルな数字。

 

 

「まだ結構あるじゃないか。」

 

と思う人もいるかもしれないが、チキンな僕にとってはここがボーダーだった。

 

 

実際に貯金が0になる経験をした人はどれくらいいるだろうか。

その中でも全然平気だった人はどれくらいいるだろうか。

 

 

このお金の不安についても心の中でたくさん話し合った。

 

 

 

話が進むにつれて、お金に対して感じている不安がお金が問題ではないのではないかという気がしてきた。

 

 

 

心の自由を守るために、アルバイトや就職やビジネスをすることを選択肢から外した。

 

 

その状態で生きるのに最低限のお金が必要だとなると、人に頼るしかなくなる。

 

 

 

ここだ。

 

 

「僕は人に頼るのが怖い。」

 

 

もともと人見知りだし、周りに気を遣いまくって生きてきたタイプだし、何回挑戦しても初対面の人と同時にたくさん会うとか無理だし。

 

数ヶ月前の僕ならそんなのわかってるわ!って思うと思うけど、

 

 

ここ数ヶ月でヒッチハイクいっぱいしたし、いろんな人に出会ったし、初対面の人に泊めてもらったり、交通費出してもらっていろんなとこ行けたり、とにかく人に会いまくってそこそこ良い感じの自分になれたと思っていた分、かなりショックだ。

 

 

もっとショックだったのが、仲良くなれたと思っていた人の前でも気を遣いまくっていたと気付いたことだ。

 

 

このままではヤバい。居心地の良い居場所なんて一生できない。

 

 

いつまでビビり続けるのか。

 

いつまで許可を待ち続けるのか。

 

いつまで人目を気にするのか。

 

わがままな奴だと思われるのが怖い。

 

恥ずかしい目に遭いたくない。

 

ユーモアの方に向かいたいのにシリアスに袖を掴まれる。

 

頭ではどうしたらいいかわかってきたのに心がそれに従わない。

 

自分の心の声がわからない。

 

 

自分との対話は続く。